プリファブ・スプラウト−スティーブマックイーン(1985)


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ゲッタウェイで存在を思い出して聴いてみた。昔良さが全然わからなかったんだけど、今なら何となく…。ゲラーズのクンパルシータhttps://youtu.be/SvZjmikwJYsって曲が好きなんだけど「あぁこれってプリファブ・スプラウトのノリなのか」って今更納得。ルーツを遡る感覚があった。

音の質感は水っぽいんだけどどっか都会的でちょうど噴水を思い出す。それに紐づけて背広着て花束持ってデートに出かける絵が浮かぶ。或いはデートをすっぽかされて雨の中ズブ濡れで佇むイメージ。

…あまりにも自分の生活とかけ離れた世界観で馴染みがない。生活の中でも上向きな気分を補う効果がある音楽だと思う。常に下を向いてる自分のような人間には縁のない音楽でもあるわけで…。純粋にメロディーだけとりあげて良いとか言う事もできない。何故ならこのバンドの音楽はあまりにもそうしたリア充的な空気と溶け合っているからだ。それはより高次元な音楽の在り方を成し得ていると評価すべきだが…やはり本心ついてけない虚しさはある。まぁ、敢えてそうした気持ちは無視しよう。

所謂シティポップに分類されてしまいそうだが、泣きそうなロマンティシズムはこのバンドにしか表現し得ない部分じゃないかな。特にグッバイ・ルシールって曲とか叫んじゃってるし他のシティポップみたいには決して聞き流せない。https://youtu.be/V84TSOukdYk

この辺は岡村靖幸なんかと被る真摯さがあるなぁ。音楽性は違うけど表現したいことの本質は似てそう。比較することで思いついたがこのバンドはより80年代の空気を美しく保存している気がする。それはいい意味で古臭く、まるでトレンディドラマのように甘ったるくて、ここに出てくる登場人物はみんな純粋だ。今の時代、僕らは女の子一人の為にこんなに全力で泣いたり笑ったりできるのだろうか。それ以前に生きるので精一杯って現状。人間が最も都会的で幸せだった80年代を感じられるタイムカプセルだな。或いはそれを超越した音楽か。

曲は全部いいが一曲目は本当にいるのか分からない。二曲目なんかメロディーの男らしく舞い上がる感じとバックの音の繊細さの塩梅が素敵でいいじゃないか。

繊細さの部分にlotus eatersを想起。このアルバム辺りまではネオアコの枠でも語られていたのだろう。

4曲目、アレンジの美しさ。プロデューサーの手腕による所が大きいアルバムでもあるのだろう。六曲目のコーラスのバランスとかも独特だよなぁ。インディポップのルーツとして存在するネオアコとは明らかに一線を画す完成度だ。お金をかけて良いものになるってのは日本では絶望的だけど、このアルバムではそれが実現してる。アコースティックバージョンと聴き比べると如何にマジックがかかってるかが分かる。